【台湾に関連する思い出1】

最初に述べなければならない。私は大学入学直後から今日に到るまで、アムネスティ・インターナショナルの会員である。入学して2年くらいは深い考えもなしに、ただそこに集まる仲間と会話し、討論し、時に共に飲むことが楽しみであるだけであったが、忘れもしない3年生の時の6月4日、中国北京市天安門広場中華人民共和国の正規国防軍である「人民解放軍」の戦車・装甲車それに兵士が乱入し、民主化を求める多くの学生や市民を殺傷する事件が発生した。

事件は私の身近なところにも多くの影響を及ぼした。私の通っていた大学には中国系の留学生も多く、また中国関連の研究者も多かった。特に明らかに動揺を隠せない留学生達の姿は、私の心に今でも深く刻まれている。また、ずっと後の話ではあるが、当時現に天安門広場にいて軍に襲われ、命からがら逃げまどって、その後日本へ逃亡してきたという人の体験談を直に聞いて、その凄惨な状況から軍事組織そして国家権力というものの容赦の無さと横暴さを痛感させられた。

余談はこのあたりにしよう。とにもかくにも連日報道されるその凄惨な状況と日本国内の、それも私の身近なところにも現れている影響から、私自身も自分ができる何かをしなければならない、という衝動に駆られた。それまで漫然と会員を続けていたアムネスティの活動に本腰を入れて取り組むきっかけとなったのが、実にこの一連の「天安門事件」であった。それゆえ、この事件関連の思い出も多い。そして、その一つが、実は台湾と、そして当時の日本の一部世論とも関係しているのである。

天安門事件から1年ほど後であろうか、アムネスティ(当時、日本支部は私が通っていた大学のすぐ側にあったため、私の所属していたアムネスティの学内グループは、よく支部自体の諸活動も手伝った)、の活動の一環として、天安門事件その他政治囚や宗教・民族などを理由に、暴力の行使を唱道していないにもかかわらず中国政府によって捕らわれている人々(いわゆる「良心の囚人」)の釈放を中国政府やその地方政府の要人達に訴えかける内容の署名活動を某駅の近くで行っていた。さすがにあの衝撃的な事件はまだ多くの人々の記憶に生生しかったようで、署名自体はかなり順調に推移した(アムネスティという団体の社会的信頼度と知名度も、ものを言ったと思うが)。
そんな中、ある一人の男性が私に対して以下のような苦言を呈してきた。今でも鮮烈にそのやりとりの記憶がよみがえる(さすがに男性の顔までは十分には記憶してはいないが)。
曰く、確かにあの天安門事件は悲惨なものだったが、台湾の国民党政府だってつい3・4年前(当時からすれば)までずっと戒厳令を敷きっぱなしにして強権的な弾圧政策を行っていた。支配者だった蒋介石蒋経国親子に対する個人崇拝も民衆に対して現に強要されている。国民党政権によって抹殺されたり、国外逃亡に追い込まれた人だって大勢いる。アムネスティは、なぜ中国の本土政府のことばかり取り上げて、台湾のことは取り上げないのか?これは政治的偏向ではないのか、と。
私はとりあえず、
1.今回は中国本土の問題を扱っているが、その時その時によって重点的に取り上げる国は変わっていること(例えばイランだったり東欧だったり、チリ・ブラジル・アルゼンチンといった南米諸国だったり)。
2.人口2千万人前後の台湾と、当時既に10億に達していたと言われていた中国とでは、そうした「良心の囚人」に関する情報量の絶対値も当然異なること。
3.別に台湾を特別扱いしていたり、中国本土政府のみを特別敵視しているわけではなく、要は世間の注目を集めた大事件であるがゆえに取り上げるだけの価値が大きいこと。
などを理由に挙げたが、なかなか納得してもらえず、口論というよりは先方が一方的に本土政府擁護と国民党攻撃の自説を展開して、ほとんど喧嘩別れのようにその男性が去るまでその状況が続いた。、